2009年07月16日

徳野英治 日本統一教会会長辞任会見

統一教会の徳野英治会長が辞任会見をされました。
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(14日の世界日報から引用)

「多大な迷惑掛けた」
統一教会が謝罪会見/特定商取引法違反事件
 印鑑販売会社「新世」(東京都渋谷区)が高額な印鑑を購入させた特定商取引法違反事件などを受け、世界基督教統一神霊協会(統一教会)の徳野英治会長(54)は13日、都内で会見し「世間をお騒がせし、多大な迷惑を掛けた」と謝罪し、会長職を辞任すると明らかにした。
 統一教会によると、信者がかかわった同法違反事件は、新世を含め、新潟市や福岡市など5カ所で警察に摘発されている。

 徳野会長は統一教会の関連施設への家宅捜索などに「道義的責任を痛感する」と表明。14日付で会長職を辞任すると明らかにした上で、「コンプライアンス(法令順守)を指導していく」と語った。後任には梶栗玄太郎同教会幹部(72)が就任するという。

 一方で、信者らの逮捕については「信者の自覚と責任が十分でなかった」「個人の経営活動に法人が指導・監督する立場にない」と強調し、統一教会の組織的な関与を否定した。

 また、徳野会長は、多くの信者が統一教会の信仰ゆえに拉致監禁され、強制的に改宗を迫られている事実に触れ、「今後、一信者に戻り、信教の自由という崇高なる人間の基本的人権を守るために微力ながら誠心誠意、努力していく」と語った。

 統一教会によると、これまで拉致監禁された信者は4000人にのぼり、多くが離教していった。同会長は、拉致監禁問題について「十分に有効な手立てなり解決策を取ることができず、ある意味では信者を奪われて、受け身の立場をただ甘受してきたような面において、私は大変責任を感じている。拉致監禁されたメンバーに対して大変申し訳なく思っている」と語った。




統一教会がこのような記者会見を行うというのは画期的なことです。こういう日を待っていました。
ただ、こんな状況で道義的責任を取って辞任するというのは貧乏くじを引くようなものだし、静かに辞任することだって出来そうなものですが、記者会見までおこなって謝罪するというのはなかなか出来ないことだと思います。さすが、徳野会長だと感動しました。

私は、20年以上前、何人かの講師から統一原理の講義を受けましたが、受け入れる決め手になったのは、この徳野会長の講義でした。
私は、論理の飛躍が見つかると、なかなか受け入れるのが難しくなる性格でして、受け入れがたい講師も多かったのですが、徳野講師は違いました。

信仰の世界ですし見えない神様の事ですから、科学や理論で説明できない部分は多くあります。その点を徳野講師は明確に話して下さり、自然科学などを元にして論理的に展開できる部分は理路整然と説明されながら、説明できないところは自分で確かめる必要がある部分であることを明確に教えて下さいました。

だから、私は、その「自分で確かめなければならない部分」を確かめて、真実であるかどうかを判断するという明確な目的を持って教会に入りました。

徳野会長が辞任されるのは残念ですが、地位が無くても常に最前線で活躍されてきた方ですから、これからも活躍されると思います。


これまで、多くの教会員(4000人近いらしい)を、暴力や薬物などで拉致監禁し、強姦したりして改宗させて、改宗料として利益を得てきた弁護士や牧師が多くいます。
ですから、会長が辞任するのなら、基本的人権を犯す凶悪犯罪を侵害した牧師や弁護士も辞任すべきだと思っています。同期の兄弟姉妹も何人も拉致されて行方不明になったり、戻っては来たが無気力な廃人のようになって大学も中退してしまった兄弟もおりました。

それでも、そんな弁護士、牧師たちを愛して許すべきなのか、正直なところ迷っています。

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2009年06月29日

石川県の携帯電話禁止条例

石川県議会で、小中学生に防災や防犯以外の目的で携帯電話を持たせないようにする保護者の努力義務を盛り込んだ「県いしかわ子ども総合条例」改正案を可決しました。
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「18歳未満の携帯電話のフィルタリング(閲覧規制)を販売事業者が解除する際、保護者に理由を書いた書類を提出してもらうことを義務付ける同条例の別の改正案」も可決しました。

私はおおむね賛成です。

おおむねというのは、本来は親がもっとしっかりしていれば、保護者に任せればいいことだからです。

でも実際は、保護者がボーッとしているから、いじめや自殺や援助交際が増えているのでしょう。携帯電話を持たせていい子と、持たせたらだめな子がいるのに、友達が持っているからというだけで持たせる親が多いから問題が起きます。

持たせても大丈夫なしっかり者の家庭にとっては、こういう条例は迷惑な話です。携帯電話やインターネットはとても便利な道具ですし、情報も上手に選択すれば有用な情報源になります。
でも犯罪が減らない以上、規制は仕方ないことです。子どもを守ることが最優先です。

すべては、携帯電話を持たせてはならない子に対して、持たせてしまっている親の責任でもあると思います。

もちろん、携帯電話会社が自社の利益のために、無差別に子どもに売る
のも問題だし、EMAという団体を作ってフィルタリングに大きな抜け穴を開けてしまった政府の対応も十分でないし、いろいろなことが後手に回っているように思います。

親が我が子に持たせられるか判断できるようになり、携帯電話会社がもう少し社会のことを考え、政府もしっかり対応できるようになるまでは、こういう条例が必要だと思います。

また、こういう条例によって、議論が起きて、多くの保護者が問題点を認識できることを願います。

神様はITをなぜ発展させたのでしょうか。
いろんな意味があると思いますが、万民が幸せになることを願っていると思います。援助交際のための連絡ツールではないだろうし、盗撮していじめるためでもないし、詐欺のためでも無いはず。

援助交際やプチ援交はとても多いのに、その親はほとんど気づいていないのが現状。
親の啓蒙や、子どもの啓蒙にはとても時間がかかるし、手軽に数万円を稼げる方法を知ってしまった子には、チョットくらい教育したところでやめるのは難しいと思います。

だから、今すぐ子どもを守るためには、一端、規制するしか方法は無いと思います。

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2009年06月28日

原理講論の論理展開

統一教会の教典である原理講論の読み方で、ちょっと変わった読み方を紹介します。これは20年くらい前に、ある原理講師から教わった読み方です。

聖句や自然環境などをもとにして帰納法的に推論し仮説を立て、それを別の事実で確認して、仮説の正しさを示すという展開が多く見られます。
原理講論自体、膨大な範囲の問題、難題に対しての解説を僅か600ページに収めた本であるため、個々の事例や事実確認の数は決して多くはありませんが、それでも必要最低限の論理展開を意識して書かれているように感じます。

このことは特に堕落論で顕著に見られます。

たとえば、
堕落論 第一節 罪の根
(一)生命の木と善悪を知る木
 (1)生命の木

では

@生命の木はイスラエル民族の願いであることを示し

「聖書のみ言によれば、堕落人間の願いは生命の木の前に行き、生命の木を完成するところにあるという。すなわち、箴言一三章12節を見れば、旧約聖書において、イスラエル民族も生命の木をその願望の対象として眺めていたし、」

A生命の木はキリスト教徒の願いであることを示し

「黙示録二二章14節の記録を見ると、イエス以後、今日に至るまでのすべてのキリスト教信徒たちの願望もまた、ひたすらに生命の木に至ろうとするところにあるということが分かるのである。」

B @Aより堕落人間全ての願いであることから、堕落前のアダムとエバの願いでもあるに違いないと予想

「このように、堕落人間の究極的な願望が、生命の木であるということを見れば、堕落前のアダムの願望も、生命の木であったに相違ないのである。なぜかといえば、復帰過程にいる堕落人間は、元来堕落前のアダムが完成できなかったその願いを、再び成就しなければならないからである。」

Cそれを聖区で確認

「創世記三章24節を見れば、アダムが罪を犯したために、神は炎の剣をもって生命の木の道をふさいでしまわれたと記されている。この事実を見ても、堕落前のアダムの願望が、生命の木であったということを知ることができる。」

という論理展開になっています。
@AからBの仮説を立て、Cでそれを確認しています。


別の箇所では

(二)蛇の正体

@2つの理由から、蛇は霊的存在であることを説明

「聖書に記録されている蛇は、人間と会話を交わすことができたと記されている。」
「そして、霊的な人間を堕落させたという事実を見れば、これもまた、霊的な存在でなくてはならないはずである。」


A更にもう1点の理由を追加して、霊的存在の理由付けを強めている

「しかも、この蛇が人間に善悪の果を食べさせまい、と計らわれた神の意図を知っていたという事実から見れば、それはなお一層霊的存在でなければならないということになるのである。」

Bそれを聖句で確認

「また、黙示録一二章9節を見ると、「巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、(天より)地に投げ落され」たと記録されているのであるが、この古い蛇が、すなわち、エデンの園においてエバを誘惑したその蛇であるということはいうまでもない。しかも、この蛇が天より落とされたと記されているのを見ると、天にいたその古い蛇とは、霊的存在物でなくて何であろうか。」

C現実の信仰生活でも確認

「また、この蛇を悪魔でありサタンであると呼んでいるが、このサタンは人間の堕落以後今日に至るまで、常に人間の心を悪の方向に引きずってきたものであるがゆえに、まさしくこれは霊的存在でなくてはならないのである。」

これは、@Aで堕落の事実から霊的存在としか考えられないと説明し、BCでそれを確認しています。


沢山あるのですがもう一カ所だけ紹介します
前の続きの部分です

@蛇は天使であることを5つの理由で説明

「では、神から創造された霊的存在であって、」
「人間と会話することもでき、」
「神の目的を知ることもでき、」
「また、その所在は天にあり、」
「そして、それがもし堕落して悪の存在に転落した場合には、時間と空間を超越して人間の心霊を支配し得る能力をもつ、」


「そのような条件を備えた存在とは、いったい何なのであろうか。こう考えてみると天使以外にこのような条件を具備した存在はないので、まずこの蛇は、天使を比喩したものであると見ることができるのである。」

Aそれを聖句で確認

「そこで、ペテロ・二章4節を見ると、神は罪を犯したみ使いたちを許し給わず、地獄に投げ入れられたと記録されているのである。このみ言は、天使こそが人間を誘惑して罪を犯させたその蛇の正体であるという事実を、決定的に立証しているのである。」

これも、@で堕落の事実から天使に違いないと説明し、Aで聖句を使って確認しています。


堕落論はこのように、ただ平坦に並べて説明するのではなく、仮説を立ててから検証するとか、最低限のことで結論づけた後で更に念を押すように事実を付け加えるというような論理展開が多く見られます。


感じること

たぶん、クリスチャンにとって堕落論は受け入れるのが難しい内容であるため、慎重に書かれたのだろうと思います。

2000年間もの間、迫害を乗り越えて神に対する信仰を守り続けてきたクリスチャン、まさに神様が最も愛しているであろうクリスチャンに対して、「どうかこの堕落論につまずかないで、原理の内容を受け入れて欲しい」という切実な願いが込められているように感じます。

この堕落論の論理展開は、初代会長の劉孝元先生の責任感と執念を感じます。


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posted by 理科系おじさん at 00:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月24日

喜びが生じるメカニズム

原理講論の前編 第三章 創造目的 の中で喜びがいかにして生じるかを次のように書かれています。

「喜びは独自的に生ずるものではない。無形のものであろうと、実態であろうと、自己の性相と形状のとおりに展開された対象があって、それからくる刺激によって自体の性相と形状とを相対的に感ずるとき、ここに初めて喜びが生ずるのである。」

私はコンピュータのソフトウェア開発を生業としています。昔からソフト開発というのは、無から有を生じるというか、無味乾燥な命令セットを駆使して、まるで人格でも持つかのような便利なシステムを作るものです。
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ソフト開発には、自己の性相と形状がそのまま展開されます。画面のデザインや操作性だけでなく、内部の作りでも個性が表れます。

ソースコードを美しく書く人、動けば何でもいいと言わんばかりのソースコードもあります。
同じような処理の部分でも力任せに繰り返し書く人もいれば、共通部分をまとめて短く簡潔に仕上げようとする人もいます。

昔の汎用機プログラマは、「ステップ単価」という「ソースコードの行数で報酬が決まる」時代に生きていたせいか、力任せに書く人が多いように感じます。

最近は「オブジェクト指向」という考えが定着してきて、プログラムの仕方も変わってきました。
昔のプログラムは、流れ図とかフローチャートなどで処理の順を書きましたが、オブジェクト指向のプログラミングでは「役割分担」を考えることが大切になります。

「役割分担」というのは専門用語でクラスというのですが、「専門家」と言っても良いと思います。
「お金の計算はこいつにやらせよう」、「顧客の検索や保存はこいつにやらせよう」、「商品に関わることはすべてこのクラスの仕事だ」といった具合です。

オブジェクト指向のお陰で、プログラムが大規模になったり機能追加が必要になっても、どのクラス(専門家)の役割なのかを整理さえすればゴチャゴチャになることが無くなりました。

昔はゴチャゴチャになって訳が分からぬプログラムコードを「スパゲッティ状態」などとよく言いましたが、最近は聞かなくなりました。
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プログラミングの世界も、まるで人格を持たせるかのようにクラスという役割分担をしていきます。ますますプログラマの考え方がそのまま反映します。

自分でも「この役割分担はスッキリしている」と思えるときは、とても気持ちいいし、作りながらも愛着を感じます。「会心の出来」と思える仕事が出来たときは出来上がった後でもうっとりします。

クリエイターの仕事はこういう喜びが多いのでしょうね。
統一教会の信仰を持つようになってから、そういうことをしみじみと考えるようになりました。
これが神様の天地創造の喜びの心情に通じるのですね。

もっと喜びの刺激が強いのは物ではなく人との間ですけど、難しいことも多いですね。我が夫婦も微妙なバランスを取りながら綱渡り状態です。
ファイト! がんばろう!

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posted by 理科系おじさん at 23:24 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アデノウイルス

先週、高熱を出していました。

普段からノドが弱いので、今度も喉の風邪かなって思いながら耳鼻咽喉科に行きました。
溶連菌の検査をされましたが菌は見つからず、とりあえず抗生剤とかもらって飲んでいました。

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しかし、2日飲んでも熱が下がらない! だる〜い体を起こして熱を測ったら39.4度もある。
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フラフラになりながら医者に行こうと思ったらなんと定休日。 
ガーン! Oh! God! That's too bad!

仕方なく解熱剤を飲んでその日はしのいで、翌日もう一度耳鼻科に行ったら、アデノウイルスだって。
あと2日で熱は下がると予告され、確かに予告通り熱は下がりました。

ネットでアデノウイルスを調べてみましたが「特効薬無し」で抗体が出来るまで忍耐するしかないらしい。

苦しい5日間でした。

苦しいけど寝ながら思いました。
生きているだけでも感謝だなぁ。もっと重い病気で絶望の淵にいる人も大勢いるし、自分が病気になることで家族が災いから守られているのかもしれないし。
治ったら今まで以上に公的に頑張ろうと思いました。

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posted by 理科系おじさん at 22:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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