よく思うのですが、エホバの証人(ものみの塔)の方って純粋な信仰を持っている方が多いと感じています。そういう雰囲気を感じます。とても清さを感じます。
考えてみれば、あの難解な聖書を「文字通り」に信じている訳ですから、純粋な方でないと受け入れるのが難しいのかもしれません。
統一原理では聖書の内容をかなり現実的に解釈していて、現在の自然科学と矛盾しないので、彼らほどの純粋さは必要無いのかもしれません。
大部分は統一原理と同じだと感じました。神様が宇宙を作ったことや、神様は喜怒哀楽の感情をお持ちであること、今なお救いの摂理を続けておられる神であること、今の時代が週末であることなど、ほとんど同じだと感じます。
あえて違う部分をあげてみれば、
救いが完成した世界の違い
エホバの証人
肉体を持ったまま永遠に生きる。
子どもが生まれない体になる(人口が増えない)。
統一原理
100年程度の寿命の後、霊界で永遠に生きる。
子どもは生み続ける(霊界に行くため地球の人口はあまり増えない)。
家庭について
エホバの証人
子どもを産めなくなるため、親になることは重要ではない。
統一教会
夫婦になり親になってこそ本当の喜びを感じることが出来る
救いの範囲についての違い
エホバの証人
14万4千に相当する人だけが救われる(永遠に生きる)。
統一教会
悪人も含め全ての人が救われるまで神様は諦めない。
神さまの姿
エホバの証人
愛の神であり絶対的な存在。
統一教会
人類の親であるため、不幸な人のそばで一緒に泣いている。
私は統一教会に長くいるからかも知れませんが、神様は「全人類を最後の一人まで幸せにする執念を持った方」であってほしいです。我が子の中に不幸な子が一人でもいたら親は幸せになれないのですから、神様も同じだと思うし、そういう神であって欲しいです。
それに、子どもを産み育てるというのは大きな喜びです。それが出来ない社会になるというのは、とても寂しい感じがします。
これは我が家に来て下さっている方に私が確認した内容であり、もしかしたらエホバの証人の本質とは違っているかもしれません。
指摘があれば訂正致します
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【神様ってどんな方だろうの最新記事】
3つコメントいただいていますが、内容がほぼ同じのようですので、代表してこのコメントのみ表示させていただきます。
言葉というのは難しいですね。
宇宙を創造された方を何と呼ぶか、これだけで宗派、教派が分かれてしまいます。これは悲しいことです。
聖書にあるイエス様が語られた、
「精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」
の「神」のつもりで「神様」と表記しています。
「主」と表記すると「主人」を思い浮かべる方も少なくないと思います。
統一原理で言う創造主と人間の関係は、主従関係ではなく親子のため、「父母なる唯一神」「父母なる主」とかの表現になるのでしょうか。
どんな人間よりも知恵があり、どんな人間よりも強い喜怒哀楽の感情をお持ちで、どんな父母以上に深い愛情で私たち全人類を愛しておられる唯一なる宇宙の創造者です。
申し訳ありませんが、よい表現が見つかるまでは、「神」とか「神様」という言葉で代用させていただきますが、ニュアンスとしては上記のような創造者を指します。
気分が悪いかもしれませんがお許しください。
一般的に「キリスト教の主」という人は少ないし、「一神教」という言葉もありますから、「神」でも良いんじゃないでしょうか。
言葉の起源にこだわるのであれは、「貴様」とか「御前」とかを良い意味で使わなければなりません。
「友達」は複数人のときだけなのかなど、現在の言葉の使い方と違ってくるのではないでしょうか。
もしかしたら、かきねさんは、今でも貴様とか御前という言葉を尊敬の意味で使っていらっしゃるのですか。
きっと、そこまでのこだわりは無いですよね。友を失ってしまいそうです。
いい訳語が見あたらないので仕方ないです。原理講論では「神」と訳されていますので、統一教会員である私も「神」が使い慣れているため、ここではやはり「神」という単語を使わせていただきますが、統一原理の神を正しく伝えるのは結構大変です。
近いうちに統一教会の「神観」について書きたいと思っています。
言い方の問題はありますが、宇宙の創造者の存在を信じるのも信仰、存在しないと信じるのも信仰のようなものですね。
科学で白黒決着が付かないこの問題に対して、存在するとか存在しないとか、多くの方がどちらかを信じているのは不思議なことです。
言葉からイメージする違いを考えさせられましたが、結局は小さな拘りで内容に辿り着かないのは損です。人の話をしっかり聞けるかどうかは、言葉のニュアンス以前にある、効いている人の器だと思います。
おじさんは大人です。
価値観が違う人に考えを伝えるというのはなかなか難しいものですね。
自叙伝をあげたら「これ、捨ててもいいですか?」と目の前で真顔で言われたのはショックでしたが。
もちろん、祝福中心家庭ですよ。