「統一運動」
http://uc-ideal-family.seesaa.net/article/122714683.html
この教会員も「涙が流れてたまりませんでした。人の幸せの秘密がここに隠されていたのかと驚きをもって、気ずかされました。」と書かれていて、この「鏡の法則」は奥深い内容があると感じます。
私もちょっとだけ似た経験をしたことがあります。私の人生を変える大事件でした。
私は小さい頃から父親を恨んでいたことがあります。そのことを信仰を持っていない人に話したことがあります。その人は「父親の事なんて忘れて、父親を無視して生活したら楽になる」というアドバイスをくれました。
しかし、統一教会では親との情関係が悪いというのは致命的とも言える問題なのです。
統一教会では、神様が親(父であり母である)であると教えられていますから、父親からの愛情を感じられなければ、神様の父親的な愛情が分からないというのです。経験が無いと観念的で、実感の伴わないものになってしまいます。神様の心情が分からず、神様は遠い存在に感じてしまうことになります。
また、自分が父に愛された実感がないと、子供にも父親らしい愛情を注げず、いびつな愛情になりやすいというのです。
それで、ある晩、父に率直に気持ちを話しました。その前後の話しをします。
【学校で虐めを受けて、父を恨んでいた自分】
私は小学校1年生の初めの頃、転校して友達もおらず気が弱かったこともあり、隣の席の女の子から嫌がらせ受けていました。先生に話しても「男だからしっかりしなさい」と言われて聞いてもらえませんでした。
親に何度か話したけど忙しくて相手をしてもらえず、叔父からは「お前が弱いからだ。虐め返したらいい」と言われたので素直に実行したら、こんどは「男のくせに女の子をいじめるなんて最低だ」と、クラス中を敵に回す結果になりました。
1年生の初めから虐めが始まり、結局5年生になるまでトイレや委員会の個室などで虐めを受けてきました。恐怖で震えて学校に行けない日もかなりありました。
小学校4年間、ずっと助けを求めてきたのに、私の両親は仕事が忙しくて相手をしてくれず、助けてもらえませんでした。結局、私を虐め続けた数名が、5年生のクラス替えで皆違うクラスになるまで虐められました。
それ以来、私は両親を、特に父親を憎んで生きてきました。
統一教会に入り、心の整理をしていくうちに、父親との関係修復が絶対に必要だと分かりました。でも、どうして良いか分からず、10年くらい何も出来ずにおりました。教会に来てからも、信仰の障害となってしまっている自分の運命を恨んでもいました。
【父に率直に話しました】
ある晩、父と話しをしているときに、何となく小さい頃の話しになって、その時に思い切って率直に話しました。
虐めを受けていたこと、助けてくれなかったことが悲しかったことを率直に話しました。
そしたら、意外な反応でした。
【父の意外な反応】
父は涙を流していました。そして「申し訳ない」と言いました。
いじめを心配していたけれど私の助けに気がつかなかったそうです。
聞いてみると、父は私以上に辛い幼少期を通過していました。
産後の肥立ちが悪く母親とは会うことが出来ず、父親も幼い頃に無くなったため、親戚のうちに引き取られました。しかし迷惑がられていて、子供としては扱ってもらえず、家族とは別に職人と同じ机で食事をしていたそうです。
学校でもいじめられ、家に帰っても甘えられる親はいないし、その家の子供にも虐められていたそうです。
私は、学校では虐められていましたが、家に帰れば親がいて、妹とも遊んでいたので、家は安心できる場所でした。でも、父は、学校に行くことも家に帰ることも苦痛だったそうです。
【私が幼い頃の父の姿を思い返しました】
思い返して見れは、父は写真、植木、登山、電気工作など多趣味なのですが、自分のものは何一つ買わず、貧しい中で私のために玩具とかを買ってくれていました。高い玩具は買ってもらえませんでしたが、我が家は貧しかったので、それが精一杯でした。
私の両親は、私が朝起きたときには仕事を始めていて、私が夜寝るときも仕事をしていました。学校の無い日曜も同じでした。それでもぎりぎりの生活でした。だから、休みの日に親に遊んでもらった記憶が殆どありません。
それほど貧しい生活の中、自分の好きなことは一切を我慢して、私や妹のために生活を切り詰めながら欲しいものを買ってくれた父だったことを、その時に気付かされました。
私は、父が両親から愛情を受けていないのに、精一杯の愛情を私や家族に注いでくれていたのに、私はそのことに40年近くも気がつきませんでした。
自分がなんと自己中心の思いで父を見ていたかを考えると情けなくなり、父に対して申し訳なく思い、私も父にそのことを謝罪しました。
その話は朝までかかりましたが、その日以来、私の父に対する憎しみは、感謝の気持ちに変わってしまいました。
妻に話したところ、親から愛されていない父だから、普通なら子供を愛せないはず。きっと、産んだ両親、特にお母さんがとても良い人で、産んだ動機もすごく良かったに違いないと言っていました。私も、他に理由がないなあと思いました。
【もう一つ気付いたこと】
そのことを通じて、もう一つ思ったことがあります。
神様も、私の父と同じような気持ちじゃないかと。
サタンの攻撃を受けながら、必死で復帰の摂理を進めてこられた神様。最愛の息子であるイエス様をメシヤとして送られながらも、誰もが不信して十字架で惨殺されても忍耐した神様。
罪の血統として不幸な立場で生まれてしまった私たちを、少しでも幸せにするためにどれほど苦労されていることか。
しかし、私たちはその神様の愛情を理解出来ず、時には自分の運命に不満を言い、神様に感謝できない事もありました。愛しても理解されず、それでも愛情を注ぎ続けられる神様を思いました。
私が父に対して親不孝してきたのと同じように、神様に対しても親不孝をしてきたと悟りました。
神様は見えないため、父との関係修復より難しいと感じていますが、父との関係が良くなったことで、私自身、神様に対して、より感謝できるようになりました。
神様との情関係を取り戻すためには、親との情関係は非常に重要だと実感します。
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