聖句や自然環境などをもとにして帰納法的に推論し仮説を立て、それを別の事実で確認して、仮説の正しさを示すという展開が多く見られます。
原理講論自体、膨大な範囲の問題、難題に対しての解説を僅か600ページに収めた本であるため、個々の事例や事実確認の数は決して多くはありませんが、それでも必要最低限の論理展開を意識して書かれているように感じます。
このことは特に堕落論で顕著に見られます。
たとえば、
堕落論 第一節 罪の根
(一)生命の木と善悪を知る木
(1)生命の木
では
@生命の木はイスラエル民族の願いであることを示し
「聖書のみ言によれば、堕落人間の願いは生命の木の前に行き、生命の木を完成するところにあるという。すなわち、箴言一三章12節を見れば、旧約聖書において、イスラエル民族も生命の木をその願望の対象として眺めていたし、」
A生命の木はキリスト教徒の願いであることを示し
「黙示録二二章14節の記録を見ると、イエス以後、今日に至るまでのすべてのキリスト教信徒たちの願望もまた、ひたすらに生命の木に至ろうとするところにあるということが分かるのである。」
B @Aより堕落人間全ての願いであることから、堕落前のアダムとエバの願いでもあるに違いないと予想
「このように、堕落人間の究極的な願望が、生命の木であるということを見れば、堕落前のアダムの願望も、生命の木であったに相違ないのである。なぜかといえば、復帰過程にいる堕落人間は、元来堕落前のアダムが完成できなかったその願いを、再び成就しなければならないからである。」
Cそれを聖区で確認
「創世記三章24節を見れば、アダムが罪を犯したために、神は炎の剣をもって生命の木の道をふさいでしまわれたと記されている。この事実を見ても、堕落前のアダムの願望が、生命の木であったということを知ることができる。」
という論理展開になっています。
@AからBの仮説を立て、Cでそれを確認しています。
別の箇所では
(二)蛇の正体
@2つの理由から、蛇は霊的存在であることを説明
「聖書に記録されている蛇は、人間と会話を交わすことができたと記されている。」
「そして、霊的な人間を堕落させたという事実を見れば、これもまた、霊的な存在でなくてはならないはずである。」
A更にもう1点の理由を追加して、霊的存在の理由付けを強めている
「しかも、この蛇が人間に善悪の果を食べさせまい、と計らわれた神の意図を知っていたという事実から見れば、それはなお一層霊的存在でなければならないということになるのである。」
Bそれを聖句で確認
「また、黙示録一二章9節を見ると、「巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、(天より)地に投げ落され」たと記録されているのであるが、この古い蛇が、すなわち、エデンの園においてエバを誘惑したその蛇であるということはいうまでもない。しかも、この蛇が天より落とされたと記されているのを見ると、天にいたその古い蛇とは、霊的存在物でなくて何であろうか。」
C現実の信仰生活でも確認
「また、この蛇を悪魔でありサタンであると呼んでいるが、このサタンは人間の堕落以後今日に至るまで、常に人間の心を悪の方向に引きずってきたものであるがゆえに、まさしくこれは霊的存在でなくてはならないのである。」
これは、@Aで堕落の事実から霊的存在としか考えられないと説明し、BCでそれを確認しています。
沢山あるのですがもう一カ所だけ紹介します
前の続きの部分です
@蛇は天使であることを5つの理由で説明
「では、神から創造された霊的存在であって、」
「人間と会話することもでき、」
「神の目的を知ることもでき、」
「また、その所在は天にあり、」
「そして、それがもし堕落して悪の存在に転落した場合には、時間と空間を超越して人間の心霊を支配し得る能力をもつ、」
「そのような条件を備えた存在とは、いったい何なのであろうか。こう考えてみると天使以外にこのような条件を具備した存在はないので、まずこの蛇は、天使を比喩したものであると見ることができるのである。」
Aそれを聖句で確認
「そこで、ペテロ・二章4節を見ると、神は罪を犯したみ使いたちを許し給わず、地獄に投げ入れられたと記録されているのである。このみ言は、天使こそが人間を誘惑して罪を犯させたその蛇の正体であるという事実を、決定的に立証しているのである。」
これも、@で堕落の事実から天使に違いないと説明し、Aで聖句を使って確認しています。
堕落論はこのように、ただ平坦に並べて説明するのではなく、仮説を立ててから検証するとか、最低限のことで結論づけた後で更に念を押すように事実を付け加えるというような論理展開が多く見られます。
感じること
たぶん、クリスチャンにとって堕落論は受け入れるのが難しい内容であるため、慎重に書かれたのだろうと思います。
2000年間もの間、迫害を乗り越えて神に対する信仰を守り続けてきたクリスチャン、まさに神様が最も愛しているであろうクリスチャンに対して、「どうかこの堕落論につまずかないで、原理の内容を受け入れて欲しい」という切実な願いが込められているように感じます。
この堕落論の論理展開は、初代会長の劉孝元先生の責任感と執念を感じます。
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