「喜びは独自的に生ずるものではない。無形のものであろうと、実態であろうと、自己の性相と形状のとおりに展開された対象があって、それからくる刺激によって自体の性相と形状とを相対的に感ずるとき、ここに初めて喜びが生ずるのである。」
私はコンピュータのソフトウェア開発を生業としています。昔からソフト開発というのは、無から有を生じるというか、無味乾燥な命令セットを駆使して、まるで人格でも持つかのような便利なシステムを作るものです。

ソフト開発には、自己の性相と形状がそのまま展開されます。画面のデザインや操作性だけでなく、内部の作りでも個性が表れます。
ソースコードを美しく書く人、動けば何でもいいと言わんばかりのソースコードもあります。
同じような処理の部分でも力任せに繰り返し書く人もいれば、共通部分をまとめて短く簡潔に仕上げようとする人もいます。
昔の汎用機プログラマは、「ステップ単価」という「ソースコードの行数で報酬が決まる」時代に生きていたせいか、力任せに書く人が多いように感じます。
最近は「オブジェクト指向」という考えが定着してきて、プログラムの仕方も変わってきました。
昔のプログラムは、流れ図とかフローチャートなどで処理の順を書きましたが、オブジェクト指向のプログラミングでは「役割分担」を考えることが大切になります。
「役割分担」というのは専門用語でクラスというのですが、「専門家」と言っても良いと思います。
「お金の計算はこいつにやらせよう」、「顧客の検索や保存はこいつにやらせよう」、「商品に関わることはすべてこのクラスの仕事だ」といった具合です。
オブジェクト指向のお陰で、プログラムが大規模になったり機能追加が必要になっても、どのクラス(専門家)の役割なのかを整理さえすればゴチャゴチャになることが無くなりました。
昔はゴチャゴチャになって訳が分からぬプログラムコードを「スパゲッティ状態」などとよく言いましたが、最近は聞かなくなりました。

プログラミングの世界も、まるで人格を持たせるかのようにクラスという役割分担をしていきます。ますますプログラマの考え方がそのまま反映します。
自分でも「この役割分担はスッキリしている」と思えるときは、とても気持ちいいし、作りながらも愛着を感じます。「会心の出来」と思える仕事が出来たときは出来上がった後でもうっとりします。
クリエイターの仕事はこういう喜びが多いのでしょうね。
統一教会の信仰を持つようになってから、そういうことをしみじみと考えるようになりました。
これが神様の天地創造の喜びの心情に通じるのですね。
もっと喜びの刺激が強いのは物ではなく人との間ですけど、難しいことも多いですね。我が夫婦も微妙なバランスを取りながら綱渡り状態です。
ファイト! がんばろう!

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